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スパーズ(トッテナム・ホットスパー)を応援するファンブログ

 

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トッテナムがアーセナルを嫌いな理由


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 ノースロンドンダービーという名前が示す通り、この両チームはノース・ロンドンに本拠地を構えるクラブであり、その地理的な要因ゆえにダービーが注目される。近接した地域に強豪チームがあれば、必然的に対抗心を燃やしてしまうのが一般的なファンの感覚だろう。
 だが、このダービーには実に多くの歴史的な要素が絡んでいることも忘れてはならない。単に隣のクラブというだけでは割り切れないエピソードをこの両チームは抱えているのである。

 まず簡単に両クラブの歴史を見てみよう。
 アーセナルは1886年の秋ごろに成立したクラブである。(ただこのくらいの年ということで正確には不明らしいが)このときのチームの名前はロイヤル・アーセナル。元々はロンドン南部のケント州(当時の行政区)付近のプラムステッドという地区が本拠地だった。ご存じの方も多いと思うが、アーセナルとは「兵器庫」の意味で、ガンナーズという愛称は当時ウールウィッチという地区にあった軍需工場で働いていた労働者が結成したことに由来している。
 一方のトッテナムは1882年に現在も本拠地を置くノースロンドンに生まれた。設立したのは当時の中産階級の学生たちでそのときのクラブ名はザ・ホットスパー・フットボール・クラブだった。ホットスパーという名称はその頃の名門パブリックスクールだったセント・ジョンズ校の学生が考えたもので、英国の中世の騎士であるサー・ヘンリー・パーシーのあだ名である。パーシーは中世のイギリスがスコットランド、そしてフランス軍と戦ったときの英雄であり、彼にはハリー・ホットスパー、戦いの前線へ真っ先に飛び込んで相手を倒すという意味で「向う見ずなハリー」という別名が付けられていた。
 これらの話からお気づきのように、元来この両チームはお隣さんではなかった。(参照以下の地図)
地図 プラムステッド   Google マップ

(google mapより)距離にすると16マイルくらい。だいたい25キロメートルくらいの距離。

 当時のアーセナルとトッテナムの間で試合は行われることもあったが、それはノースロンドンダービーではなかったし、今のような敵対意識はなかった。ただここからは対立の物語が展開されることになる。
 アーセナルは1891年にアマチュアからプロクラブになった。当時まだアマチュアクラブが多かったため、アーセナルのプロ化は周囲のチームからは反発を呼んだらしい。
 ただ、1910年代にアーセナルの経営が悪化する。1899年のボーア戦争で軍需工場は大忙しになり、ファンにとってサッカーどころではなくなったこと、そして本拠地であるプラムステッドとファンが多く住んでいたウールウィッチの間は交通の便が悪かったことによってファンの数は激減していた。
 そこでアーセナルの救世主となったのがヘンリー・ノリスという男である。1910年にクラブを買収したノリスは不動産業で大儲けした人物で、その後リーグの改革に強く関わってくる。当時のスパーズファンは彼のことを「とてつもないバケモノ」と呼んでいたらしいが。
 彼がまず行ったのは本拠地の移転。アクセスが良く、フットボールファンが多く、そして他のクラブが隣接していない場所をノリスは探した。その結果がノース・ロンドンだった。もちろんロンドンにはトッテナム、チェルシー、そしてオリエントなどのクラブがすでに存在しており、これらのクラブはアーセナルの移転に大反対だった。だが、当時のクラブの移転に関する規制はなかったも同然で、結局アーセナルはノース・ロンドンにやってくることになった。
 そして次に彼が行った「改革」、それが現在のアーセナルとトッテナムの歴史に決定的な対立をもたらした。ノース・ロンドンに本拠地を構えるようになったため、次に「邪魔」になるのは当然隣接するトッテナムである。ノリスはノース・ロンドンをアーセナルの土地にするために「英国サッカー史上唯一最大の法外な企て」を行う。
 1914/15シーズンが開幕して間もなく、第一次世界大戦が勃発する。そのため当然リーグは休止状態になってしまう。1919年9月にリーグが再開されるのだが、ここである問題が発生する。トッテナムはリーグが休止される前のシーズンを1部リーグの最下位で終えていた。しかし新しいシーズンでは1部リーグのクラブが20から22に増えることになっていため、トッテナムは降格せず、2部リーグから2つのチームが昇格することが予想されていたため、スパーズは安心していた。ところがリーグの運営委員会が出した結論は2部リーグ4位のアーセナルが昇格、1部リーグの最下位スパーズが降格というものだった。この不可解な判定に一役買ったのがオーナーのノリスだったのではないかというのがスパーズ側の意見なようである。
 もちろんこの降格と昇格をめぐる争いにノリスがどれほど関与していたかを彼が正確に述べているわけではない。こういった類の話はすぐに「陰謀論」のようなものにストーリーを描かせてしまうし、十分な検証がなされているわけではない。ただ一つ言えるのは、スパーズファンが突然やってきたアーセナルをさらに嫌いになるのには噂の域でも問題なかったということである。
 そして闘争心に火がついたスパーズは翌年には記録的な強さで1部に昇格し、さらにその翌年にはアーセナルよりも先にFAカップを獲っている。これは英国南部の地域が主要タイトルを獲得した初のケースである。ちなみにノリスは1928年に金銭的なスキャンダルが目立つようになったことからクラブを追い出されている。
 以上がスパーズとアーセナルをめぐる物語である。両チームによるダービーが過熱するのには距離以上にこういった歴史があるということを知るとよりダービーにも気が入るのかもしれない。まぁ神は「隣人を愛せ」なんていうけど、こんなハタ迷惑な隣人だったら、ジーザス!と言いたくなってしまいますね。
 この記事はアーセナルとトッテナムの歴史のウィキペディア的なまとめにしました。事実誤認等があればご報告して頂ければ修正します。
(今回は『世界のサッカー応援スタイル』(カンゼン)と『英国のダービー』(白水社)を参考にしました。どちらもサッカーファンなら楽しい本なので、週末のフットボールを見る前に好きなクラブや国のページをめくればより楽しみが増えると思います。)
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Comments

Re: タイトルなし
>adeさん
 コメントの返信が遅れてしまい申し訳ありません。
 トッテナムとアーセナルの歴史は非常に込み入ってますね。まぁその他のダービーにもいろんな事情があるのでしょうが、この2つのクラブはやや複雑な過去を持っているようにも思います。まぁこの話は本で紹介されているので、ある程度は事実にのっとっていると思いますが、歴史なんてのはどちらの視点で見るかで話が変わったりしますし、「こういう説もあるんだなぁ」くらいで受け取ってもらえると助かります。
 試合の時はこういった歴史がファンを過熱させるわけですが、行き過ぎると今回のアデバヨールへのチャントのように「憎しみ」へと転化してしまいます。歴史を知ることは楽しみを増やすことであって、禍根を現在に持ち込まないようにする冷静なファンの態度が必要なのかもしれませんね。
 
なるほど・・・何も知らずに熱気に乗って楽しんでましたが、歴史無くしてダービーは語れない、ですね。
19世紀から続くライバル関係というと、これはまるで薩摩藩と長州藩のいがみ合いが今でも続いてるようなもの。熱いわけですね!
 

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